2020東京オリンピックでは各競技のたくさんの選手たちが激戦を繰り広げました。本番の舞台で力を発揮できた選手、実力がだせなかった選手…いろいろなドラマがありました。
私の心に残ったのは卓球女子の伊藤美誠選手、平野美宇選手の「試合が楽しかった…卓球が大好きです!」という言葉でした。
さらに競泳男子の本多灯選手は「誰よりも試合を楽しもうとのぞみました。結果、銀メダルまでもらえて本当にうれしい!」というお話をされていました。
もちろんアスリートたちは、心身ともに辛く厳しい練習の日々を積み重ねており、「楽しい」と簡単に言えるわけではないと想像できます。
今回、オリンピックでメダルを獲得した選手たちが「楽しく試合ができた」と答える姿は、部活・運動に励む人たちへのメッセージになったのではないかと感じました。
顧問次第で方針が変わる
私たち親子の経験談です。
私の娘は中学時代、卓球部に入りました。当時の顧問の先生は「勉強が1番。委員会が2番。卓球は3番でいいのよ」と言っていました。
穏やかな顧問の先生のもと、先輩も後輩も、男子も女子も良い雰囲気で練習に取り組んでいました。
卓球の試合は、個人戦と団体戦があります。娘の中学校の卓球部は決して強い方ではありませんでしたが、体幹、走り込み 、打球練習と男子も女子も熱心に活動していました。娘も楽しく部活に励んでいました。
翌年、人事異動に伴い、部活動の顧問の変更がありました。新卒で着任した現役の卓球選手でもある女性教諭が卓球部の顧問を務めることになりました。
卓球が強くて統率力のある○○先生を生徒たちは尊敬していました。ところが新しい指導者を迎え入れた卓球部は良くも悪くも激変していきます。
部活もクラスも辛いものに変わる
中2の春、部活の顧問が変わると次第に部内の雰囲気が悪くなっていきました。
さらに悪いことは重なりクラス替えしてから、娘はクラスの陽キャのいじめ(いじり)のターゲットになってしまいました。担任の先生は陽キャ中心にクラスを盛り上げていくタイプで、陰キャがしいたげられてもフォローすることはありませんでした。
クラスで毎日、精神をすり減らし何とか通学を続けている娘にとって、部活に出る精神的スタミナは残っていませんでした 。無理して部活に出ては過呼吸の発作を繰り返していました。 そこで、保護者である私は顧問の先生とも相談してとりあえず3ヶ月ほど部活をお休みさせてもらうことにしました。
部活に求めるもの
体調回復のために仮設定した休部期間がそろそろ終わる頃…
娘:「そろそろ部活に戻らないとヤバい。○○先生に見捨てられる…」
私:「無理しなくてもいいよ。先生は見捨てたりしないよ。もし仮に見捨てるようなことがあったら、価値観が違うから仕方ない。気にしなくていいよ。 自分の体の治療(パニック障害の回復)を優先して…」
私の説得を振りほどいて娘は部活に復活しました 。
ところが娘が戻った卓球部は、顧問の先生と生徒の関係が悪化しており、男子も女子もバラバラで部全体がギスギスした雰囲気になっていたのです。
顧問の先生は教師になって、初めて着任した学校で自身が競技者である卓球の顧問を受け持つことになり、弱小校の生徒たちを徹底的に育成しようと力を注いでくださったのだと思います。
ところが先生が結果を急ぐあまり生徒の気持ちが置き去りになってしまった感じがします。
「部活、楽しくやりたいか?強くなりたいか?どちらを選ぶ?」という先生の言葉に極端さが現れています。
優先順位や価値観は人それぞれ。立場も違います。
例え「楽しくやりたいし、強くもなりたい」と思っていても、生徒の口からは言えないですよね。
顧問と考え方が合わない
結局、娘は部活に戻り、苦しさを抱えながら部活を続けます。 中3の進級以降、ほとんど治まっていた娘の過呼吸の発作が6月ぐらいから頻発しました。 患った自律神経(パニック障害)は、数ヶ月程度では回復しません。
部活を休んだり、無理して行ったり、なんとか部活を続けようとする娘に私がストップをかけました。
娘の状況を考えると柔軟に対応してほしかったのですが、部活をお休みする場合は、ルール通り生徒手帳の連絡事項の欄に保護者の一筆と印鑑が必要と顧問の先生に言われました。
放課後やっぱり部活に行くのがしんどいと感じても、娘は生徒手帳を持参して顧問の先生が担任をしている教室まで行かなければならず、ホームルームが終わるまで10分以上廊下で待つこともしばしばでした。
ルールはともかく、顧問の先生の方針がさらに娘を苦しめている現状がありました。
私:「引退試合まであと少しで部活に出た方が良いことはわかっていますが、娘が行けると思った時だけ部活に出ます。かなり精神的に負担になっているので、もう生徒手帳や電話による保護者のお休み連絡は致しません。 申し訳ありませんがよろしくお願い致します」
顧問の先生にそう告げました。
部活を続けた最後
中2の終わりから中3で引退する6月まで休みがちですが娘は部活を続けました。
新入生の新しく入った部員に(本当は女子部長だった)娘は、丁寧に指導しました。毎日部活に行くことはできませんでしたが、やれる範囲でがんばっているように親の私には見えました。
部活の集大成である個人戦の引退試合に娘は行きませんでした。 行けませんでした。悲しかったです。
団体戦は、女子の人数が足りないから出るしかないと言って出場しました。部活の後半フルで練習には参加できなかったものの、自分が出た試合は全勝していました。
苦しかった部活の最後の試合なので、親の私も会場まで見に行きました。あんなに卓球がうまいなら、もっと楽しく部活の日々を送れたならどんなに良かったことか…と想像してしまいました。
中学校の部活をふりかえって娘は言いました。
「 ○○先生が来て、卓球部は強くなったかもしれないけど…失ったものの方が大きい 」
「あの人には弱者の気持ちはわからない。わかるはずがない…」
顧問も生徒も部活に何を求めるかは、人それぞれです。
ただ娘の姿を見て私が感じたことは、お互いに個々の考え方も認める大切さです。
強くなるには厳しさが必要なのはわかりますが、楽しくなければ何のためにやっているのかわからなくなってしまいます。
しかも生徒たちはまだ子供です。周りの大人たちが個々の多様性やマイノリティを認めてあげたいです。
部活がつらいと感じている人は実は多いです。陰ながら応援しています。